歴史沿革


【概要】绥芬、満州族の言葉で「きり」の意味があり、綏芬河の中で1種の先端が尖ったサザエような生物が成長しているため、満州族の人はそれを綏芬河と呼んだ。綏芬河は長白山の麓を源にし日本海に流れ込んだ普通の川で、山々の中でくねくねしていて、国境に近づく時、突然ウエストを広げ始め、1つの沖積平原を形成した。これは東寧平原なのである。もともとの発想の中に、中東鉄道はこの綏芬河谷に沿って中国の国内に接続されるようになり、五番目の駅が河岸の三岔口という村に建てられた。そのため、この駅も綏芬河駅と呼ばれている。しかし建造中、突然、河谷平原から太平峠を通った地域がきわめて複雑であることを発見して、北へ50キロメートル移動しなければならなかった。そこで、綏芬河駅は綏芬河を遠く離れて標高500メートルの山の斜面の上に移されることになり、今の綏芬河市となった。中東鉄道が開通した後、ロシア、日、朝鮮、イギリス、フランス、イタリア、アメリカなどの国からの使節も商人もどっと集まってきて、ヨーロッパの商品、文化と建物知識をもたらしてきた。しばらくの間に、この小さい町の上空に同時に18カ国の旗がひらひらと翻っていて、当時「旗鎮」と呼ばれた。綏芬河は悠久の歴史を持っている。考古の発見によると、四、五千年の前、境界内では中華民族の祖先が繁殖し生存し続けていたそうである。唐の時代、綏芬河地区は渤海国率宾府華州に従属した。明朝になって、奴尔干都指揮使司率賓江衛に従属するようになった。1860年、「中露北京条約」の締結のため、境界地区になってしまった。1897年に中東鉄道を建設した時、綏芬河地区の一部は鉄道付属地になって、鉄道当局によって大権を握られたが、他の一部は1903年に綏芬河庁に従属するようになった。

    1913年、東寧県が設立された後、東寧県に従属した。

    1921年に東北当局によって中東鉄道の付属地行政権が回収され、元鉄道付属地は東省特別区に編入され、第三区に属した。

    1926年に綏芬河市が正式に設置された。 1945年に綏芬河地区が解放された後、绥陽県に従属した。

    1948年にまた東寧県に属するようになったが、1968年に綏芬河区が設立されてから、牡丹江地区に属するようになった。

    1975年に国務院の許可で省管轄の計画独立都市になった。

    1988年に省委員会、省政府の許可で、通商貿易辺境振興試験地域になった。

    1992年に国務院の許可で、最初の境界開放都市になった。

    19996月に中露両国政府の許可で、中露绥――波互市貿易区が成立された。

閉鎖